勿忘草(わすれなぐさ)〜彼の川に咲く花〜

赤間香代(あかま かよ) :赤間 里介の妻。おしとやかで、夫のために尽くす性格。良妻の鏡のよう。

赤間里介(あかま りすけ):赤間 香代の夫。若く何事にも興味を持つ子供のような性格。反物職人として働き日銭を稼いでいる。

東雲(しののめ):赤間夫妻の隣に住むおじいさん。そして、里介の働く反物屋の主人。お節介な好々爺。


赤間香代(あかま かよ) :
赤間里介(あかま りすけ):
東雲:
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香代:貴方は覚えているだろうか?あの時に交わした約束を。私と交わした約束を。

里介:彼女は覚えているだろうか?あの時に交わした約束を。俺と交わした約束を。

香代:覚えています。

里介:覚えているさ。

香代:ゆめ、忘れたまうな。我が思いし心。

(間)

里介:今帰った。香代。遅くなってすまない。

香代:お帰りなさい。ご飯、できていますよ?

里介:ありがとう。おー。おいしそうだ。

香代:あっ!ちょっと、つまみ食いしないで!

里介:すまないすまない。凄くお腹空いてて。

香代:全くもう・・・。子どもみたい。さ、食べましょ。

里介:へへへ。頂きます。うん、おいしい。・・・香代が居てくれてるから、俺はこうやって働けるんだなぁ。

香代:いきなり何です?いつもの貴方らしくない。

里介:いや、ちょっと。・・・あ、そうだ!香代。いい話と悪い話があるんだが。どっちから聞きたい?

香代:何かしら。あまり嫌な話は聞きたくないんだけど。

里介:悪い事も。そんなに悪い話じゃないから安心してくれ。

香代:そう・・・?じゃあ、いい話から聞かせて。

里介:今日。隣の東雲(しののめ)の爺(じい)からいい話をもらったんだ。

香代:東雲さん・・・。いい話・・・?

里介:そう、なんでも都じゃ、今は反物(たんもの)が凄く高値で売られているんだ。
   こちらの言い値で買ってくれるらしくて。

香代:そんな事があるの?

東雲:今、この国は今までに無かった平和な時期が続いているじゃろ?裕福な都の皆様は色々と着飾る事に凝ってるようでの。

香代:東雲さん!?あ、えっと・・・こんばんわ。

東雲:おお、すまないな。ちと良いにおいに釣られて見に来てしまったわ。今日の夕飯はタマゴかい。

香代:ええ、丁度今あったモノがこれくらいで。

里介:爺さん。食ってみな。すげぇおいしいからコレ!

香代:ちょっと!

東雲:いやいや。遠慮しとくよ。ワシはあまりこういったモノは食べるなと医者から怒られての。

香代:え・・・。お体悪いんですか?

東雲:寄る年波(としなみ)には敵わんなぁ・・・。もっとワシもいけるとおもっとったが。

里介:悲しいこと言うなよ。爺さん!

東雲:ははは。まあ、仕方の無い事よ。じゃが、商売に関しては、まだ里介には負けんぞ?

里介:言ってろ!すぐに見返してやるんだからな!

香代:ふふふっ。でも、東雲さん。お体を大事になさって下さいね?

東雲:そうじゃな。・・・こんなに優しい嫁さんをもらって羨ましい限りだ。里介には全く持って勿体ない。

里介:う。うるさいなぁっ!

香代:あ、それで貴方。いい話の続きは?

里介:おっと、そうだった。都で反物(たんもの)が飛ぶように売れてるって事は、生地作りの職人の手が足りてないって事なんだ。

東雲:そこで、この町からも、反物(たんもの)職人の手助けが欲しいと、都の反物組合(たんものくみあい)から命令があっての。

香代:もしかして・・・。

里介:そう!その派遣職人に俺が選ばれたんだ!

香代:え・・・?

東雲:凄いことじゃぞ?もっと喜びなさいな。

香代:え・・・、あ、そうですね!ごめんなさい。ちょっと驚いちゃって。

里介:だろう!?いや、俺もまさか選ばれるとは思わなかった。

東雲:本当だったらワシが行くところだが、いかにも身体が言う事をきかぬでな。

香代:そうなんですね・・・。それで、悪い話って?

里介:明後日から、出なきゃいけない。

香代:それって、都に?

東雲:そうなるのう。香代。お前さんには悪いんだが・・・。

里介:すまない。香代。でも、どうしてもこの機会をモノにしたいんだ!

香代:いえ・・・。ええ、分かって居ます。どうぞ。行ってらっしゃい。

里介:ホントに!?ありがとう!

東雲:・・・なんだったら。取りやめるが。(小声で)

香代:良いんです。だって、あの人の夢だったんですもの。都で自分の反物を売るっていうことが。

東雲:そうだが・・・ウム。

香代:そんな事は無いですよ。東雲さん。・・・それで、いつ帰ってくるのです?貴方。

里介:ううん、それがいつになるかは・・・。

東雲:長くとも3年じゃ。普通は1年だがの。

里介:そうなのか?俺が聞いたときはまだ期間が決まってないって・・・。

東雲:つい先程決まったんじゃ。それを伝える為にも覗いた。いいか、3年できっかり帰ってくるんだぞ?

里介:ああ!俺、頑張るよ!

東雲:成長しておらんかったら、許さんからな?

里介:分かってる!

香代:では、さっそく、準備しなくちゃ。

里介:あ、ありがとう、香代。

香代:いいのよ。なんたって、私は貴方の妻ですから。

東雲:絶対に帰って来いよ、里介。

里介:え?ああ、もちろんだ。帰らないと思うのかよ?

東雲:思うから言うておるんじゃ。

里介:そんなことないだろ。

東雲:お前は好奇心が旺盛過ぎるからな。都はお前にとって誘惑が多い。
   何度も言うぞ?3年じゃ。3年で帰ってくるんだ。

里介:分かった、分かったよ。

東雲:その間。しっかり香代のことは見ておくからの。

里介:うん。頼んだよ。爺さん。

東雲:気を付けて、いってくるんじゃぞ?






香代:今日から3年ですか・・・。

里介:心配かけるな。香代。

香代:いいんです。貴方の夢を追いかけて下さい。

里介:絶対に、帰ってくるから。

香代:絶対ですよ?

里介:絶対だ。だから、待っていてくれ。

香代:分かりました。待っています。

里介:・・・愛しているよ。香代。

香代:はい。私もです。

里介:ゴメンな。では、行ってくるよ。

香代:あ。待って。

里介:何だ?

香代:これを。持って行って下さい。

里介:これは?

香代:私の、櫛です。幼い頃から使っている櫛。これをお守りに。

里介:でも、大事なものなんだろう?

香代:大事です。でも、それよりも、私は貴方が大事なのです。

里介:香代・・・。

香代:済みません。引き留め過ぎはダメですね。行ってらっしゃい。

里介:ああ、行ってくる。
   ・・・香代!

香代:はい。

里介:大事にするよ。この櫛。
   そして、絶対に忘れないから!

香代:はい。


(間)


香代(M):そして、彼は旅立った。都に向けて。ずっと見送っていたかった。
    できる事なら、行ってほしくなかった。
    でも、引き留める事なんて、できなかった。なんたって、あの人の夢なんだから。

里介(M):後ろ髪を引かれながらも俺は旅に出た。目的地は都。
    香代は一昨日からずっと元気が無い。理由は分かっている。仕事とは言え、俺が出て行ってしまう事が気がかりで、不安なのだろう。
    絶対に。何があっても戻る。3年間。3年間で絶対に大きくなって戻ってくるんだ。
    それまで、待っていてくれ。


東雲:それから、あっという間に3年は過ぎた。その間、香代はずっと待ち続けておった。
   春も、夏も、秋も、冬も。
   ただ、彼が無事にこの家へと戻って来ることだけを祈って待ち続けていた。

   とある日。覗いてみたら香代は何をしていたと思う?
   地蔵菩薩を彫っておったのじゃ。慣れん小刀で、指にキズを付けながらも。
   ただ、一人の男のために彫り続けた。
   そして、約束の3年目。今か今かと待つ香代に、ワシは声を掛けた。
   『大丈夫だ。すぐに帰ってくるさ。明日には帰ってくるさ』と。
   しかし、香代は言った。


香代:いいえ。多分、明日は帰らないでしょう。


東雲:ほんのりとほほえんだその顔は息を呑むほど美しく。そして、悲しげだった。
   この老いぼれた爺ができることは何一つ無い。励ます言葉も見つからぬ。
   悔しゅうて悔しゅうて・・・。
   一度。ワシは酷く酔っぱらってしまった時がある。
   その時、つい漏らしてしまった失言がある。
   『こんなに待たせるなぞ、言語道断。あのバカは何をしているんだ』
   その時、香代はワシに怒った。


香代:あの人はバカじゃ在りません。  
   絶対、なにか在るんです。帰ることの出来ない何かが。


東雲:そう頑なに語る姿は、鬼でさえも驚きすくみ、世の絶景でも美しさに負ける力があった。
   そんな香代を毎日見ており、ワシは、心が痛んだ。
   こんな事になるならば、行かすのでは無かったと。
   そう、後悔し始めた翌月だ。この町と都を繋ぐ街道が寸断されているという知らせが入ったのは。
   聞くところによると、どうやら戦が起こり、その戦火は街道を隔てて広がっていると言うことだった。
   北と南の闘い。街道を挟みにらみ合う両者はお互いに引かず、いつまで経っても闘いは終わらない。
   それどころか、この町へと戦火が広がってきた。
   一人、また一人と町の住人が消えていく。避難の為に。
   しかし、ただ一人、香代は残り続けた。
   『逃げぬのか?』と問えば。

香代:あの人が・・・。あの人が帰ってきたらいけないから。


東雲:そういって、家に引きこもりじっと待ち続けた。
   


(間)


里介:やっと、やっと戻って来れた。
   あの忌々しい争乱め。よりにもよって帰ろうと思った時に起こらなくとも良いではないか。
   だが、やっと会える。香代に。
   怒っているだろうか?俺が3年で帰らなかったことを。
   東雲の爺が言っていた事を忘れて、遊びほうけた俺が愚かだった。すまない。
   ・・・何て言ったら許してくれるだろうか?
   それとも何か贈り物をするか?
   6年もかかってしまった。本当にどうして俺は・・・しかし、変わってしまったな。この町も。
   あんなに活気があったというのに。今では人っ子一人も外に出ていないのか。
   おや・・・?あの家はどこへ消えた?あそこの家も!あった場所に家がないではないか。
   よもや、俺の家もなくなっては居ないだろうな?

香代:・・・こちらです。・・・こちら。

里介:ん?この声は、香代か?

香代:こちらに・・・こちらに・・・。

里介:どこにおるんだ。香代。姿を見せてくれ!
   (少しの間)ここは・・・。

香代:どうぞ、入って下さい。貴方。

里介:おお、我が家だ。ここは変わっていなかったか!
   待たせて済まなかった!香代!

香代:お帰りなさい。貴方。

里介:ただいま。香代。

香代:お仕事はうまくいきましたか?

里介:そう!聞いてくれ!香代。
   なんと、俺の反物(たんもの)が売れに売れた!大当たりだった!
   そして・・・。驚くなよ?都に店を構えることができたのだ!

香代:そうなんですか。それは、いい事運(ことはこ)び。

里介:それでだな・・・。香代。一緒に都へ行ってはくれないか?

香代:都へですか?

里介:そうだ。都だ。
   生まれてこの方、この町を出た事のないお前だ。不安な事は尽きぬだろうが・・・。
   しかし、ようやっとつかめた希望なのだ。共に行ってくれないか?

香代:そうですね・・・。少し考えさせてくれませんか?

里介:そうか・・。いや、すぐに返事は無くても良いのだ。まだまだここには居るし、向こうの店はしっかりと任せられる人間に預けてきた。
   あ、後そうだ!これを返さなくては!

香代:コレは・・・。

里介:お守りにと渡してくれた櫛だ。ちゃんと、壊さずもっておったのだ。

香代:ありがとうございます。

里介:ああ、まだ話足りぬ。まだ、香代に伝えたいことがいっぱいあるんだ。

香代:では、今宵はゆっくりと共に過ごしましょう。
   ずっと、私はこの時を。貴方と再び会える日を待ち望んで居たのですから。

里介:そうだな。そうだ。この間にあったことも話したいが。今は・・・・。


(しばらくの間)


東雲:(戸をを叩く)誰か、誰かおるのか!?この家に誰か居るのか!?

里介:この声は・・・東雲の親爺か?こんな朝にどうしたんだ?
   俺だ。どうした?東雲の親爺?

東雲:この声は・・・さては、里介か!
   ・・・そうじゃ。やはりそうじゃ。この顔、この声。なぜ、今になって帰ってきた!

里介:えっと・・・それは争乱が。

東雲:それは分かって居る!ワシが言うておるのは、何故3年で帰らなんだかと言うこと!
   なんで・・・死ぬまでに・・・香代が死ぬまでに何故この町に帰らなんだかと言うことだ。

里介:え・・・?香代が・・・死んだ?

東雲:そうだ!死んだ!香代は死んだ!
   ・・・よもやお主。一晩この家で寝ておきながら、それが目に入らなんだとはいわさんぞ?

里介:これは・・・位牌?

東雲:急ごしらえの位牌だ。戒名もない。ワシが板きれで作った位牌だ。

里介:この壺は・・・。

東雲:骨壺じゃ。中は空じゃがの。一人で満足に弔いもしてやれんでな。

里介:な・・・どういう・・・。なんということだ?

東雲:どうした里介。顔が・・・真っ青じゃ。

里介:そんな。俺は昨日。香代に呼ばれて、この家に辿りついた。香代と話し込んだ。夜遅くまで。
   それなのに・・・死んだって。本当なのか?

東雲:本当だ。自害したのだ。
   戦火がこの町を襲ったときに。
   家が無くなればあの人が困るからと言い、逃げず。
   私が敵兵の慰(なぐさ)み者となったなら、彼は絶望するだろうからと言い、自害した。
   その光景をワシはしっかとこの目で見た。
   だから今、ワシは怒って居るんだ!なんで!どうして戻ってきてやらんかった!

里介:そん・・・な・・・。
   なんで、そんなことを・・・。
   香代・・・。香代・・・。

東雲:・・・香代が死ぬ前に言っておった。
   あの人が帰ってきたら伝えて欲しいと。
   約束をしっかりと守ってくれてありがとう。
   私は、すごく幸せです。・・と。
   あと、コレも渡して欲しいと言っておった。

里介:こ・・・れは?
 
東雲:地蔵菩薩じゃ。お前さんの無事を祈って。香代がつくっておった。 
   そこの川で、暇があればずっと彫っておった。

里介:あの、青い花の咲く?

東雲:そうだ。あそこでずっと。ずっと。
   願いを込めながら彫っておった。

里介:・・・・・。

東雲:ワシは、もうお主に何か頼まれようとも、手伝う事はままならん。しっかりとお前自身の手で。供養してやるんだぞ。

里介:香代・・・。済まない。
   俺が帰らなかったばっかりに、こんな・・・。

香代:貴方は覚えているだろうか?あの時に交わした約束を。私と交わした約束を。(これ以降の香代はエコー在れば尚よし)

里介:覚えている・・・覚えて居るぞ・・・。

香代:私は覚えておりました。里介。貴方。帰ってきてくれて。ありがとう。

里介:うわぁぁぁぁぁ!(里介泣く)

(間)

里介:それから俺は、東雲の親爺から香代の埋葬場所を教えてもらい。寺に頼み、供養をした。
   墓は小さいが建てた。その場所は、ずっと俺のために地蔵を彫っていた川のそばである。
   勿忘草。その花の名前。
   香代は、その花に囲まれ、ずっと俺を待っていてくれた。そう考えるとあれから数日が経った今でも申し訳なくなる。

   また、待たせてしまうことになるが。待って居てくれるか?
   ふと、墓に拝んだときに俺はそう思った。
   するとどこかで香代の声が聞こえた気がした。

香代:ゆめ、忘れたまうな。我が、思いし心。





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