猫の話     作 佐和島ゆら

笹倉花月(かげつ)♀/二十五歳(笹倉清一郎の妻・かなり感情的な性格)
笹倉清一郎 ♂/三十代後半(笹倉花月の夫・作家で不思議なものを見る能力がある)
猫(黒猫)まだ生まれて一年も満たない猫。花月の元に通っている。



花月♀:
清一郎♂:
猫(不問):



清一郎「花月(かげつ)最近そわそわしているな」

花月「そわそわしますよ。清一郎さん。今日もあの子がくるかもと思ったら」

清一郎「あの子?」

花月「猫です。黒猫です」

清一郎「お前、猫が好きだったのか。初耳だ」

花月「私だって今まで猫を意識したことはありません。ですが、その」

清一郎「その? 何だ」

花月「こう、すりすりされて、にぼしを求められるのは悪くないなぁと」

清一郎「それでにぼしを小分けにしていたのか」

花月「はい」

清一郎「最近、味噌汁のだしが薄いのだが」

花月「あの子が食べたがるので、つい」

清一郎「……そうか」

猫「にゃぁ」

花月「来た。いらっしゃい」

清一郎「ずいぶん毛並みがいい」

花月「野良なんですけどね」

清一郎「猫でも身綺麗なのだな」

花月「ええ。誰かさんと違って」

清一郎「昨日はちゃんと洗い物、出したぞ」

花月「昨日はね」

清一郎「お前、怒っているのか」

花月「そんなことありません。はい猫ちゃん、にぼしですよー」

猫「にゃぁ、にゃぁ」

清一郎「本当にかわいがっているのだな」

花月「こう夢中に食べる様がかわいくて、かわいくて」

清一郎「あまり私たちの分のにぼしまで、やるなよ」

花月「それなら毎日洗濯物を出してください。あなた」

清一郎「やはり怒っているじゃないか」

花月「いっぱい食べて大きくなるのよー」

猫「にゃあ、にゃあ」

清一郎「まったく。ん、そうか……」

花月「どうされました。あなた。そんな渋い顔をして」

清一郎「いや、少し気分が悪い。書斎に行っている」

花月「え、はぁ。分かりました」

猫「にゃぁ」

花月「どうしたのかしらね。先生は」

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花月「あなた、ひやは足りていますか」

清一郎「足りている。なぁ」

花月「何でしょう」

清一郎「猫はもうずいぶんと、ここに通っているのか」

花月「いえ、十日ほど通ってきているだけです」

清一郎「……そうか」

花月「あなた、どうしたんです? そんな眉間にしわを寄せて」

清一郎「猫にはもう近寄るな」

花月「え」

清一郎「来ても、追い返しなさい。もうにぼしをあげてはだめだ」

花月「どうして、いい子なんですよ」

清一郎「だとしても関わるな」

花月「意味が分かりません。理由を教えてください」

清一郎「それは……」

花月「どうしてそこで口ごもるんです。やましいことでもあるんですか」

清一郎「そういうわけじゃない」

花月「じゃあ、何故」

清一郎「飯」

花月「は?」

清一郎「飯をくれ」

花月「話はまだ終わっていませんよ」

清一郎「腹が空いたんだ。茶碗に盛ってくれ」

花月「……分かりました。はい、どうぞ」

清一郎「おい」

花月「何ですか」

清一郎「何でこんなに山盛りなんだ。こぼれているじゃないか」

花月「知りません!」

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花月「……雨があがらないわ」

清一郎「もう三日も降り続いている」

花月「洗濯物も全然洗えないし。洗ってもこんなにひどい雨じゃ乾きもしない」

清一郎「お前の不機嫌はまったく治らないな」

花月「謝罪してください。私に猫に近づくなと言ったことを」

清一郎「またその話か」

花月「またって何ですか」

清一郎「……私は絶対に意見を曲げないからな」

花月「その頑固な態度、いったい何がご不満なんですか」

清一郎「不満? 私は不満なんてないぞ」

花月「もう! 埒があきません」

清一郎「書斎に行く。原稿がもうすぐ完成するんだ」

花月「さすが人気作家ですね」

清一郎「とげとげしいな。本当に」

花月「だって……」

清一郎「悪いとは思っているんだ」

花月「え」

清一郎「いや何でもない」

花月「……待って」

清一郎「何だ」

花月「夜中にお夜食持っていきますから」

清一郎「え」

花月「おにぎりの具を決めといてください」

清一郎「いいのか?」

花月「いいんです」

清一郎「ありがとう」

花月「勘違いしないでください。そんな悲しそうな顔をされたら、こっちが悪いみたいで……とにかく、お夜食を作りますから」

清一郎「そうか」

花月「そうです」

清一郎「お前は優しいな」

花月「もう、そういう言葉はくすぐったい……」

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清一郎「雨があがった途端、庭を見回りしているのか」

花月「だって、ひどい大雨でしたもの。どこか壊れていたら大変よ」

猫「にゃあ」

花月「あ、猫ちゃん!」

清一郎「な」

猫「にゃあ、にゃぁ」

花月「また来てくれたのね。待ってて、にぼしを持ってくるから」

清一郎「花月」

花月「何ですか?」

清一郎「その子に、にぼしをあげてはいけないよ」

花月「またそんなことを言って。どうしてです?」

清一郎「あげたらだめだ」

猫「にゃあ」

花月「あ、どこに行くの」

清一郎「追いかけるな」

花月「清一郎さん、痛い」

清一郎「行くな」

花月「そんな強く掴まないで。あぁ……猫が」

猫「にゃぁ」

花月「壁を、通り抜けた……?」

清一郎「あの猫は死んでいる」

花月「え?」

清一郎「亡骸が庭のどこかから出てくる」

花月「そんな。どうして」

清一郎「あの猫は、大雨で死んだんだよ」

花月「あなたはそれを知っていたのですか」

清一郎「ん……」

花月「猫が死ぬ未来が見えていたんですか」

清一郎「猫でなくても、私もお前もいつかは死ぬ」

花月「そういうことを聞いているんじゃないんです!」

清一郎「そうだな」

花月「そうです……」

清一郎「お前が……悲しむのが嫌だったんだ。でもうまく誤魔化せなかったな……」

花月「あの子が死ぬなんて」

清一郎「あの大雨だ。小さな黒猫一匹、死んでもおかしくない」

花月「……私は馬鹿です」

清一郎「馬鹿?」

花月「ええ。泣いたってどうしようもないのに。泣いたって猫の命は戻らないのに」

清一郎「お前は優しいんだ。それだけだよ」

花月「違いますって。馬鹿なんですよ」

清一郎「花月」

花月「猫ちゃん、猫ちゃん。もう、いないのね……」

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花月N「きっと、私はこんな日々を信じていたのだ」

花月「あら、また来てくれたのね」

猫「にゃぁ、にゃぁ」

花月「にぼしをいっぱいあげましょ」

猫「にゃあ、にゃあ」

花月「ふふ。本当にお前はかわいいね」

猫「にゃあ」

花月「んー、今日もいい天気だねぇ」

猫「にゃあ、にゃあ」



「おわり」



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