心に焔を


 自分の役割は終わったと思わないか。
そう言ったのはグランの友人で、同業の時計職人だった。
「なんだよ急に」グランは赤ら顔で問う。
 すると友人は、自分の節くれた指を見ながら。
「役割が終わったんだよ」と言った。
 桜という東洋の花が町役場で咲き誇っているときだった。
 町は珍しい花を祝うために、祭りを開いて賑わっていた。
 グランは冗談めかして友人の肩を叩く。
「何なんだよ、急にそんなこと言って」
 グランはわざとおどけた調子で聞いた。ここは一応二人きりとはいえ、飲みの席だ。居酒屋の名物女将が作ってくれたオムレツや、ふかしたジャガイモもある。最近若造どもが作り始めたというビールは、なかなか新鮮な苦みがあってうまい。暗くなる雰囲気ではないではないか、仲間よと言わんばかりに。
 そんな戸惑いと軽口が入り交じっている中で、友人はから笑いをする。三文役者よりもひどいから笑いだ。感情がちっともこもっていない。
 友人は困ったように、グランの肩を叩き返した。
「俺は時計職人をやめようと思うんだ、グラン」
 グランは一瞬何も言えず、飲みかけていたビールをぐっとあおるしかなかった。そして空になったグラスを、厚い木のテーブルへと置く。そして詩の一節を呟いた。時計職人のことを謳った詩だ。

——われら、時を伝えるもの。この針に魂をこめるもの。

 グランは曖昧な表情で、友人を見た。
「お前もかよ」

 友人は小さく笑った。その口の端には老いが忍び寄っていた。そうだろう、お互いに若者を気取っているが、体の老いがきていることは感じている。四十を過ぎたら、「老い」をどこかしらで感じるものだ。
 グランは目をつむり、そのままふかしたジャガイモをむしゃむしゃと食べた。ジャガイモは口の水分をどんどんと奪っていく。水分を補うための水分……つまりはビールを飲んでいく。すいすいと喉の奥を通っていくビール、腹がぎゅっとアルコールで温まってきた。
 そういえば「友人」には家族がいる。家族を養うためには、金にならない時計職人は続けられないだろう。なんせ、時計職人の時計は高いと最近は誰も頼みに来ない。独身であるグランも、今を請け負っている受注が終わったら、時計職人から仕事を奪った時計工場への就職を決めていた。
 桜という花が舞い散る頃には、就職の時期も目処がつくだろう。時計工場は大量の時計を作っているが、そのクオリティは時計職人には劣る。そこで工場のオーナーはクオリティを向上させるために、時計工場の製品点検に職人を雇っていた。まったく自分たちの仕事を奪った工場に、拾われるなんて滑稽にも程がある。
 
 グランは酒の酔いが抜けきらない中、自宅には帰らず、町の高台にある作業場へと向かっていた。
 明かりで照らされた桜の姿と、祭りの喧噪、雲に見え隠れする月、そして大きな川が一望できた。
 グランの住む町を縦断するような川だ。エテルネルと町の皆には呼ばれていた。いつも水質が良く、底まで透き通って見える。魚も豊富で、町の大きな資源にもなっていた。だが同時に川は身投げの川としても有名だった。この川に意図して飛び込んだ者の何人かは遺体として引き上がらなかった。川底からつながっていると言われる異郷「エテルネル」に招かれたのではないかと町の人々は言い合った。そして噂で聞きつけた人々が、その憶測を信じて、身を投げる。町の財産でありながら大きな負の面をもつ川だった。川は街の喧騒の光を反射して、きらきらと輝いている。とても身投げの川には見えなかった。
「あいつが生きてたら、驚くだろうなぁ」
 グランは作業場の窓から外を見る。氷を入れたロックグラスに、琥珀色の酒を注ぐ。氷の溶ける音を聞きながら、もういない親友の姿をグランは思い出していた。生きていたのなら自分と同じ初老の男だろう。だが……。
「くそ、酒がまずくなる」
 友人の廃業、自らの廃業、そして昔を思い出させる川のきらめき。
センチメンタルになる状況だったが、それで流されるのも、グランは不快だった。酒がまずくなる。だいたいセンチメンタルな思いにふけるなんて、湿っぽすぎた。グランは壁に立てかけている、ギターをかき鳴らす。メロディを紡ぎながら、時計職人のために作られたという詩を、歌い出した。
 酒で喉が焼けている。無理して声を上げているので、喉が痛くなる。だが、歌うのは楽しい。魂が踊り出すのを感じた。

——針をととのえろ、時の声を聞け、その指だ、その指だ。

 段々と下手ながらに調子が上がってくる。酒酔いの吟遊詩人は、気分を晴らすように歌う。クソみたいな話を聞いたが、あれは夢だったんじゃないかとグランは思いかける。だがすぐに、いや、夢じゃねぇなぁと思い返す。グランは歌い続けた。
「相変わらずうまいもんだね。なかなかの名演奏だ」
 そんな声が聞こえてきたのは、一人きりのコンサートが最高潮を迎えたときだった。
 
 グランは歌うのをやめて、声のした方を見る。すると、革帽子を深めにかぶった男が入り口に立っていた。ギターの弦に指を当てたままグランは男を見る。
「悪いが、何の用だ。もう店はしまっているぞ」
 グランは手で男を追い払うような仕草をする。まったく、突然部屋に入ってくるなんて何なんだ。そもそもこの作業場は……。
 グランははっと目を見開き、男に警戒をあらわにした。
「お前、なんでここに入って来られた……鍵はかけていたはずだ」
 酒に酔っていたせいで、一瞬判断に遅れたが、グランは確かに鍵をかけた。だからこそ、こうして誰にも邪魔されないと、思う存分歌っていたのだ。
「入りたいと思えば入れるさ。俺はそういうものなんだ」
 グランは男を軽くにらむ。意味の分からない言葉を吐く男を見定めようとする。時計を検品するよりも、神経を尖らせていた。
 男は肩を揺らして愉快そうに笑う。
「おいおい。グラン、そんなに警戒しないでくれ。ようやく久しぶりに会えたのだから」
 男は革帽子を取り一礼した。礼儀正しく、ゆっくりと顔を上げる。
 ふと、酒で酔っ払って嗅覚が鈍ったグランの鼻に、ジャスミンのような清涼な香りを感じた。自然と肩の力を抜けさせる不思議な香り。
グランの頭は一気に覚醒し、首の脇を撫でるような感触を覚えた。冷えた川の流れに触れたような気持ちよさだった。
「お前は……」
 グランは呆然と呟いた。言葉を続けようとするが、それを遮るように男は、軽やかな笑みを浮かべる。
「そうだよ、マルコだ」
 その言葉、そして顔を見せた男の姿にグランは息をのむ。確かに男はマルコそっくりだった。
今から二十年前に、エテルネルの川に飛び込んだ、幼なじみの姿に。
 グランは驚きのあまり、から笑いをあげた。
「そんな、うそだ……あいつは、死んだはずだ。死体だって上がった」
「……」
「生きているわけがないんだ……マルコはっ」
 それにマルコと名乗る男は肩をすくめた。そして困ったように自分の頭を軽く叩く。気が立っているグランに対して、おもむろに男は自分の手首を見せる。
「これを見たら、信じてくれるかな。お前の右肩にもあるよな」
 男の手首には痣があった。羽のような形をした痣だ。グランはまじまじと痣を見る。それはマルコが持っていた変わった痣だった。グランも同じような痣を右肩に持っており、マルコとグランはその事実を面白がって、前世でも関わっていたのだろうと話していた。
 そんな痣、そうそう再現出来るものではない……グランは呆然としながら、男を指さした。
「お前、本当にマルコなのか」
 男はぱっと花が咲いたように頷いた。
「おう! グラン。お前、年を取ったなぁ!!」
「馬鹿やろう! お前が年を取らないんだっ。何だよ、死んだときの姿のままじゃねぇか!」
 グランの言葉にマルコは、腹を抱えて笑う。
「ああ……俺の体は死んでいるが、魂はエテルネルに招かれて、そのままの姿なのさ」
「エテルネル……?」
 グランはマルコを手招きして、テーブルに座らせる。グラスに酒を乱暴に入れると、マルコの前に差し出した。
「何だよ、エテルネルって……川底にあるという異郷のことか? あれはおとぎ話だろう」
 するとマルコは酒を飲みながら、もったいぶった仕草で頭を横に振る。
「エテルネルはあるよ。ごくまれに川底とエテルネルがつながって、魂を招き入れるんだ」
「魂を……招き入れる?」
 マルコは顔をしかめた。存外に酒のアルコールが高かったらしい。別の酒に使うはずだった割用の水を注いだ。
「エテルネルが川とつながった時、川に飛び込んだ者の魂を招き入れるのさ。永遠の都、エテルネルにようこそって言う感じにな」
 グランはからからと笑った。
「そうなのか。てっきり俺は死体があがらないことがあるから、それがエテルネルに行ったヤツだと思っていたよ」
「そいつは運悪く、海の方へどんぶらこと流されちまったヤツだよ。かわいそうに、今頃は魚の餌になって、骨は魚の巣になっているかもしれないなぁ」
「そうかぁ、なるほど」
 グランはしみじみと頷き、それからマルコの方を強く叩いた。
「お前。やっぱ、死んじまったんだなぁ」
「何だよ。死んだと言ったのはお前じゃないか」
「そうだよ、そうだけどさ。信じたくなかったんだよ。お前が川に飛び込んで死んだとか、嘘だろって、思いたいんだよ」
 グランの脳裏に、青黒い肌になったマルコの水死体の姿が浮かんでくる。水が入ってしまったのだろう、浮腫んだ死体だった。マルコの家族はその無惨な死体に追いすがって泣いたし、グランは呆然としながら、自分の幼なじみという名の何かを、見ることしか出来なかった。
「なんで、死んだ……って野暮だな。分かってたよ。就職したペンキ職人のおやっさんに、画家の夢を捨てろって言われたんだろ」
「あぁ……うん」
 マルコの声は頼りなくなる。顔を見ると唇だけが、辛そうに引き結んでいる。
「何だろうな、それだけじゃないんだ。俺、生きづらかったんだよ。ここは本当に俺の住む世界なのかと思ってた。そうじゃないとすら感じていた」
「ソレが理由か?」
 グランの言葉にマルコは皮肉っぽい口調で返した。
「もしくはぼんやりとした不安かな……何しても袋小路に迷い込むというか。あれだよ、俺、絵を描くことしか出来なかったからな」
「ああ、そうだ! お前は絵は上手い。そこそこな」
 そう、そこそこうまい。画家としては大成しなくても、ペンキ職人なら良い塗りをしてくれると期待できる程度に。
それがマルコの限界だった。本人の意思とはまったく沿っていなかった。
 才能はあふれんばかりにあるのなら、背中を押すことも容易だったろう。グランもマルコの家族も。だけれどそこそこしか才能がない、画家として生計を立てられるか微妙と感じてしまった周囲は、マルコに夢を諦めさせて、ペンキ職人に無理矢理させてしまったのだ。今後の幸せを祈って……。
 マルコはグランの気持ちを察したのだろう。グラスを掲げる。
「おう、中途半端って嫌だな」
「そうだぞ、むしろド下手くそなのに、画家になってやるといいだした方が、まだマシだ」 
「ああ、確かに。下手に力があるから、未練が生まれちまって……川に飛び込むんだ」
 いつのまにか、グランの飲んでいた酒がなくなった。今度は別の酒を入れようと立ち上がる。その時だ。
マルコはきょろきょろとあたりを見回した。
「グラン、ここって作業場なんだよな……」
「そうだが……」
 マルコはきょとんとした顔で聞いてきた。
「こんなに綺麗なのか? いや時計は繊細だから綺麗にしないといけないのは分かるが、資材すらほとんど見えない……」
 グランの心が揺れる。
そうだ、こいつが死んだのは、二十年前だ……。
グランは酒をグラスに注ぐと、マルコの前にどっかりと座った。
「ああ……辞めるからな。時計職人を」
「え……何で」
 グランは参ったように自分の頭を小突いた。
「あー。簡単に言えば、時計職人はもういらねぇんだよ」
「ええっ」 
 マルコは心底驚いたような顔をして、思わず立ち上がった。
「何が、何で、いつのまにそうなったんだよ」
 酒に酔っているせいか。マルコの態度に面倒くささを感じてしまう。だが、二十年前に死んだ幼なじみからすれば当然の疑問なのだろう。
グランは手短に説明する。時計を製造する工場の出現と客の流出、時計職人の作品は良いが高すぎるという評価。色々と相まって存続するのが困難な現実。マルコは話を聞いている内にこわばっていた顔から力が抜け、やるせない顔で椅子に座り込んだ。
「何だよ、そんなことになってたのか……」
 マルコは曖昧に笑った。事態を無理矢理飲み込もうとして、飲み込みきれない、そんな表情だった。
「お前は時計職人の修行を一生懸命にやってたから……きっとすごいヤツになっていると思ってた」
「今度からは時計工場の製品点検の仕事をするから、厳密には時計からは離れないけどな」
 マルコは親犬にすがる子犬のような瞳を向けた。
「だけど、もう、時計は作らないんだろ」
「……需要がないからな」
「そうだな、ごめん。変なこと言って」  
 その心底残念そうな顔を見ると、グランの心が疼いてしまう。乾きかけている傷口を無理矢理開こうとしているような気さえもした。
マルコのような声がもっと早く聞ければ良かった。そうしたら自分の心の焔は、少しは……と歯噛みする。 
 話を切り替えたくて、グランは話を変えた。
「それにしてもよ、エテルネルでお前は何をしてるんだ」
 マルコはその問いに、少し考え込んだ。答えづらかったのだろうかと思って、無理なら話すなと言うと、マルコは慌てて頭を横に振った。
「違うんだ、俺の語彙力ではうまく説明が出来なくてな。まぁ強いて言おう。俺には主人が居る。俺の魂をエテルネルに導いた主人だ。その人の世話係をしながら、絵も描いている」
「お、絵を描き続けてるんだな。どんな絵だ」
「この、故郷の絵だよ」
「何だよ、エテルネルにいるんだろ。そこの光景を描けば良いのに」
 マルコは困ったように笑う。
「エテルネルは楽園だ。俺の絵の技量では表現しきれなくてな」
「楽園なのか……」
「時が止まった永遠の楽園なんだ。だんだんと人間だった頃のことが薄れていく」
 そこでマルコは自分の吐いた言葉の重さに、唇を真一文字にする。それから一転して、強い調子でグランの腕を叩いた。
「まぁおかげで、好きなだけ絵を描けるんだ。いいだろ」
 うはははははとマルコは高笑いをする。グランはその言葉になんとも言えなかった。
 マルコは確かに今幸せだろうと感じる。描き続けたいと思っていた絵を誰にもとがめられず描くことの出来る世界。それは大きな代償があった。
いずれマルコは、本当にエテルネルの住人になり、もしかしたらマルコという意思も失っていくのかもしれない。
 天国のような地獄のような、玉虫色のような楽園だ。グランはそう思う。かといって、マルコは現実に戻れない。死んだと言うこともあるが、あまりに彼の知っている現実から時間が経ちすぎていた・
 グランは息を吐き、一番疑問に感じたことを聞いた。
「お前、どうしてここに来た? 話を聞いていると、少なくとも二十年はエテルネルにいたんだろ」
「ん、ああ。主人がね、桜に興味があったんだ。祭りの日ならば、エテルネルと此の世の境が曖昧になる。それで俺を従者として引き連れたんだ」
 主人は桜のはかなさに夢中だよ、また来ようかと話している。
 マルコは窓の外から見える町並みを、目を細めて見た。
「綺麗だな、二十年ぶりに見ても綺麗だ」
 それからマルコは急に真面目な顔をして、グランに体を向けた。 
「時計、本当に一個もないのか」
「え」
「俺さ、グランの時計が本当に欲しい」
 グランはマルコの言葉のよく分からなかった。永遠の楽園、エテルネルなら、時というものは無意味に等しい。
なんせ永遠にエテルネルで過ごすのだから、時刻を知ってもしょうがないだろうと思ってしまう。
「何でだ、お前の住んでいるところで、使うのか」
 マルコは目を細めて下を向く。眉尻を下げて頭を横に振る。
「いや、あそこには時計がない。時という概念がないからな……。時計を置いても、外の時刻が分かるばかりで、何も意味がない」
「なら、何で」
「俺の罪滅ぼしなんだ」
「え」
 マルコはグランに見せたことがないほどに、愁いを帯びた瞳を見せた。青い花畑で、一人だけ置いていかれた子供を彷彿とさせる笑みだった。
「何の罪を犯したんだよ」
 グランは困惑を隠しきれず、顔をしかめる。するとマルコは肩をこわばらせて、目をつむった。
「俺が……自分の命を放り投げたことだよ」
「それは……そうだけど。あの時のお前は」
「ああ、苦しかったよ。死んだ方がマシなくらい苦しかった! きっと何度でも俺は、死を選んで、川へ飛び込んでいただろう」
 何度でも死を選ぶ……。思わずグランはマルコの襟首をぐいっと掴んでいた。
「馬鹿野郎っ。お前が引き上げられたとき、お前のおっかさんはどれだけ……!」
 マルコは泣くように笑った。
「ああ、そうだよ……! 俺は何度だって、残した者を不幸にするだろう。そしてエテルネルで絵を描くんだ。この記憶が少しでも薄れませんように……俺がまだ俺でありますように……! 俺が俺まで忘れてしまったら、俺の死を悲しんでくれた人には申し訳ないんだ。でも……でも!」
 マルコはグランの胸をやるせなさそうに拳で叩いた。
「記憶が薄れちまうんだよっ……時の感覚が分からなくなってよ!」
「マルコ……」
「親不孝でこんなことを言い出す馬鹿だけどよ、時を見て、俺の罪を自覚したいんだ。自覚も出来なくなったら、俺はもう、俺じゃない……」
 マルコは今、果たして本当に幸せなのか。もしかしたらマルコだけがよく分かる恐怖が罰なのではと思った。そうだとしたら楽園という場所はあまりに名前にはそぐわず、無慈悲だった。グランは複雑な気持ちのまま、整理された棚を探り始める。
 まだ、渡せる時計自体はいくつかあったのだ。
 グランは丁寧に時計を布で拭う。日付も分かる懐中時計だった。銀の細い鎖もつけてやる。
 作業を進めていると、グランの中で思考が大きく動くのを感じていた。マルコのか細い、祈りのような願い。それを少しでも維持できないか。
そんなことを考える。そういえばとグランは思い出す。。マルコはよく言っていたじゃないか。

「グランの時計はいいな。すごく使いやすくて……」
「何だよ。お世辞か。師匠には敵わんよ」
「そうだろうけど、俺は好きだよ、すごい時計職人になれるよ……絶対っ」 

 マルコはグランの腕前を心底信じていた。なら自分は……。
 
「ほれ、この時計はどうだ」
「あ、ありがとう……すごい綺麗だな」
 マルコは嬉しそうに時計を見る。腰のベルトに鎖を巻き付けた。
 それからグランに手を差し伸べた。
「何だよ」
「握手だ」
「はあ? 気持ちわりぃ、なんで握手なんだよ」
「したいからだよ」
「よくわかんねぇなぁ」
 グランはしょうがなくマルコと握手した。すると青白い輝きが手の間からこぼれる。
驚き手を離して、まじまじと自分の手を見ると、そこには青い宝石があった。
「お代だ、返品なしだぞ」
「これは……もらいすぎだ!」
 グランは声を上げると、愛想良くマルコは手を振った。
「いいんだよ。本当に嬉しかったんだ」 
 その裏のない笑顔に息が詰まる。何だよ、その笑みはとグランはこみ上げる感情をこらえた。
マルコはまた窓の外に目をやる。
「祭り、そろそろ終わりだな」
「ああ、終わりだよ」
「そろそろ主人も動き出すだろう……行かないと」
 マルコは寂しげに言う。
 グランはぼそりと言った。
「来年」
「は?」
「来年も来るのか。この祭りに」
 マルコはうーんと小さくうなる。
「主人、しだいかなぁ」
「絶対、来い」
「それは俺には決め……」
 そこでマルコは言葉を失った。真っ直ぐな目で、グランはマルコを指差した。
「絶対来るんだ。来年はお前のために、もっとちゃんとした時計を渡さないといけない。こんな良いものをもらったら、アフターサービスだってつけないと、割にあわん」
「え……」
 マルコは憮然とした表情で言った。
「俺は時計職人をやめる、だがそれは仕事としての廃業だ。仕事じゃなくても俺は、時計の面倒を死ぬまで見る義務がある」
 グランは力強く言い切る。
「だからなんとしてでもここに来い。時計を持ってこい」
 マルコは気の抜けた顔で、グランを見た。それから心底おかしそうに腹を抱えて笑い始める。
「うはははは、何だよ、それ……あはははははは」
「何がおかしい」
「いや、あんまりにも、センスがなくてな。笑っちまったんだよ」
「うっさいな」
 マルコは笑いすぎたと目尻を拭った。何度も何度も拭った。そして頭を下げる。
少し震えた声で言った。
「ああ、また来るよ。会いに来る……。時計を見てもらわなくちゃいけないからなぁ」
「そうだ、大事なことだぞ」
 そう大事なことだ。
 この再会を、このつながりを、ここで切らすわけにいかない。グランの心に焔が宿る。
 マルコは顔を上げ嬉しそうに頷いた。
「ああ! グラン、また来年だ。……今度は僕の絵も持ってくるよ」
「そこそこ上手いんだろうなぁ」
「いや、腰を抜かすほど上手くなってるよ」
 グランはこぼれるように笑い、グラスの酒を飲む。
「まったく、口だけは達者だ」
 マルコはそれにうるせぇと返す。やがて二人の笑い声はなりを潜め、そっとグラスを合わせた。
 カチンと鳴るグラス。琥珀色の酒がゆらりと揺れる。 
 外ではさらわれそうな程に強い風が吹いた。

お題

https://shindanmaker.com/601337 より

「心の灯火」


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