雨の日に贈る 作 佐和島ゆら
女(奥さん)(27歳/♀)……夫を亡くして一年が経つ未亡人
大鳥(26歳/♂)……女に思いを寄せている。夫の仕事の後輩
夫(32歳/男)……女の夫(大鳥との兼役)
女♀:
大鳥&夫♂:
(秋雨が降っている。家屋に二人が正面を向いている)
大鳥N「秋雨が静かに降り続いている。庭にある秋薔薇に大きな雨粒を落としている。私と奥さんの間には花瓶が一つ。紅い小薔薇が生けられている」
大鳥「お久しぶりです。奥さん。最近はあまりご主人にご挨拶が出来なくて申しわけがない」
女「良いんですよ。大鳥さん。あの人が亡くなって、もう一年です。挨拶をしてくれる人もずいぶんと減りました」
大鳥「奥さんは以前より顔色が良くなりましたね」
女「えぇ、葬式やら相続やらで忙しい時はちっともお腹は減らなかったのですけど。生活が落ち着くにつれて、何だか食べたくなってしまって……。特に今は秋のはじまりでしょう。体が夏の暑さから落ち着いて、うずきだすんですよ」
大鳥「そうでしたか。いや、腹がへることはとてもいい。その……葬儀の後の奥さんは正直見るにいたたまれなかった」
女「えぇ、その。分かってはいたんですよ……あの人が死ぬことは。今はとても医学が進歩していますからね。あの人の死は、もはや予定……と言ってもいいほどに確かなことだった」
大鳥「奥さん。寂しいことをいいなさって」
女「寂しいですかね。死に近づく人の側に居ると、緊張することをご存じですか。大鳥さん」
大鳥「そりゃ。なんとなくは」
女「とても怖いのですよ……いつ、この人の心臓がとまるかと。最後はひどく痩せてしまいましたから、余計にくるものがありました」
大鳥「あの先輩が……楽しいことや綺麗な物が好きなあの人が?」
女「食べるのも好きだったのに。最後は水を飲むのも苦痛だったでしょう」
大鳥「すいません。正直、想像を超えるものがあります」
女「あぁ、ごめんなさい。あくまでこれは憶測なんです。あの人ね。私の前では笑ってばかりなんですよ」
女「冗談を飛ばして、馬鹿みたいに子供っぽくなるんです。一緒に寝ないかとか。私にひっつかれたら、重くてしんどいのにね」
大鳥「それは先輩らしい」
女「あの人はとても、その優しかった。私、あの人の側に居て全然駄目だったのに。それを許してくれたんです。仏様みたいでしょう?」
大鳥「奥さん……」
女「だからって、本当に仏様になることなんてなかったのに」
大鳥「そうですね、もっと仕事を教えてもらいたかったですよ」
女「本当。もっと、いっしょにいたかった」
女「不思議ですね。あの人が病気になって、色々あったのですよ。何度も吐くから洗濯物は毎日たくさんでるし。食事もすごく気を遣った。何より……いつ死んでしまうのか、こわかった」
大鳥N「奥さんは花瓶に手をかけ、紅い小薔薇に弱々しく微笑んだ」
女「でも、そんな状態でも、いてほしかった。あの人が息をしていれば、それで私はっ……」
女「あぁごめんなさい。取り乱して。そうだ私、花占いが好きなんです」
大鳥「花占い?」
女「物事の吉兆から、恋の実りまで。単純ですが簡単に占えるんです」
大鳥「はぁ。ずいぶんと乙女なのですね」
女「はたちをとおに過ぎた女がやることではないとは知っていますが、つい」
大鳥「へぇ。それで、最近何を占っているんですか?」
女「私のこれからの道筋です」
大鳥「道筋?」
女「えぇ、そう……大鳥さんだからこそ。私は告白しましょう。実は毒を持っているんです。飲めばころりと死んでしまう毒を」
大鳥「え……」
女「あの人が居なくなってから、私は自分がどうして生きているのか、分からないんです……」
女「毒を持ち歩いて、いざとなったら使えばいいと思わないと、生きていけないのです……」
大鳥「それは、だめだ」
大鳥「それはだめですよ。死ぬなんて」
女「分かってはいるんです。死ぬなんて馬鹿馬鹿しいと」
女「花占いでも、生きろ、生きろと告げてくるんです」
大鳥「ならっ……!」
女「分かんないんです。どうして、生きているのか……。だって、あの人が居ないんですよ」
大鳥「ですが、奥さん」
女「私は、ずっと幸せだったんです。本当に幸せだったんです!」
女「あの人、喜んでくれたんですよ! 洗いたてのシャツを着て、嬉しいって。早く元気になって美味しいご飯を食べようって! 私が不安で、寝る前に心臓の音を聞いても。あの人は怒らなくて……!」
女「私はあの人さえいればそれでよかった」
女「さみしいんです。もうその声が、聞こえないと思うと。さみしくて、苦しくて」
大鳥「生きる意味を見いだせないのですか、奥さん」
大鳥N「奥さんは小さく頷いた。私は口元を隠し咳払いをする。唇が、どうしようもなく震えていた」
女「あの人は最後まで、冗談ばかりで……。弱音を一つでも吐いたら、まだ私は楽だった」
大鳥「奥さん、死んでは駄目だ」
女「大鳥さんはお優しい。こんなことを言い出す女なんて、面倒でしょうに……」
女「本当、何もかもが嫌になります……え?」
大鳥N「奧さんの目が瞬く。視線は家の外に。そこには傘を差した、私と奧さんにとって見覚えのある誰かが立っていた」
女「あなたっ!」
大鳥「奧さんっ」
女M「待っていてくれたのね。私のことをずっと、待っていてくれたのね! ごめんなさい。気付かなくて、やはり私は……あなたのそばに」
大鳥N「奧さんは、傘を差した誰かに抱きつこうとした。しかしその瞬間霞のごとく、誰かは消え……秋雨の中、彼女は地面に転がった」
女「っつ、くぅ……。ど、どうして?」
大鳥「大丈夫ですか! 奧さん」
女「え、えぇ。何とか……今のは何だったのでしょう。さっき、人が居たんです。見覚えのある……いいえ、あの人が、いたのに、どうして……」
女「(半泣きで)消えてしまうの……私のことをどうでもよくなったの?」
大鳥「奧さん。立って下さい、このままでは体が冷えてしまいます」
女「……」
大鳥「奧さん」
女「えぇ、なんでしょう。とうとう幻覚まで見えるようになったのかしら」
女「気が狂うてしまった方が楽なのかしら」
大鳥「奧さん、いきましょう。さぁ」
女「そうね。あら……?」
大鳥「あれは……指輪?」
大鳥N「男のいたところには、指輪が一つ落ちている。秋雨の中でも美しく虹色に輝く、小さな石がついていた」
女「なんて綺麗……あぁ、そうか」
大鳥「奧さん?」
女「あの人、死ぬ直前。意識を失う前に言ったんです」
夫「元気になったら、君に指輪を贈ろう。一等綺麗な物を」
夫「君が元気になれるように」
女「あの人……忘れてなかったのですね」
女「馬鹿……死ねなくなるじゃない」
大鳥N「そう言うと奧さんの頬には大粒の涙が流れた。やがて秋雨は止み、私と奧さんの目には青空がうつる」
大鳥「晴れましたね、奧さん……」
女N「大鳥さんは何故か、哀しそうに笑った」